絶望経験のススメ パート2
2008.04.16 Wed
<絶望経験のススメ パート2>
前々回の絶望経験のススメでは、アイデンティティの新陳代謝促進機能として、マッチョ思想っぽいパラダイムシフトと絶望経験のススメを説いた。
そして前回の記事のちょい反省において、絶望経験は「アイデンティティを再構築する」効果までは補完出来てない分、リスキーな行為であると再認識した。
そこで今回は、そうした絶望経験をより細かく分析していくことで、安全で効率的に絶望を経験するノウハウを考えていきたい。今日の考察は下記5点!それでは元気に行ってみよー☆ウー、ウォンチュー(`・ω・´)シャキーン
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1、現実逃避と絶望経験の違いについて
2、絶望経験のメリット・デメリット(アイデンティティ再構築前)
3、絶望経験のメリット・デメリット(アイデンティティ再構築後)
4、絶望経験の問題点と対策
5、アイデンティティ代謝の先にあるもの
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1、現実逃避と絶望経験の違いについて
始めに考えるべきはやはり絶望経験の定義付けである。「絶望したっ」というリアクションが絶望先生によって開拓されたこともあってか、現在では「絶望」という概念も気軽に使えるものになりつつあると思う。そしてそのニュアンスとしてもオタク文化の影響を受けてか、「現実逃避型絶望」と「真理追求型絶望」が入り混じった表現になっていると感じる。
そして俺は「現実逃避型絶望」=現実逃避の一種、「真理追求型絶望」=絶望経験として二者を性質の違いによって分類したいと思う。(勝手に言葉を作ってすみませんね。分析や分類をするのは性分なんです。)
それでは二者の性質の相違は何なのか?
俺のする分類基準は、現実と空想の間で苦しんででも創造し続けられるか、である。といっても意味フなので具体的に説明していく。
まず二者の抱える同じ性質とは、ズバリそれまで抱いていた希望が絶えた時に生じる感情であるという点である。要するに「絶望」部分が共通項なのだ。「目の前真っ暗状態」が共通。
一方、二者の抱える異なった性質とは、
「現実逃避型絶望」:空想の世界を自分のホームにしようとする
「真理追求型絶望」:現実をホームに出来ない事に葛藤し、ひたすら苦しみあがく
にあるように、苦しみを享受してでも足掻けるかどうかにある。
言いかえれば、二者は
「現実逃避型絶望」:現実を捨てて空想の世界を仮想現実にしようとする
「真理追求型絶望」:現実とうまく付き合えず、衰弱して悩み続けながらも
現実に希望を求め続ける
という関係でもある。
「真理追求型絶望」は時に病的である。下手すれば芥川龍之介のように自殺にまで至る危険なものである。ただその一方で「真理追求型絶望」は、より多くの詳細情報を取り込み続ける・他者と情報共有し続ける事で(この条件が大切!)、新しい希望のロジックを創造する可能性のある絶望である。絶望が創造的行為を生み出す瞬間はまさに至福の時である。現実に軸足を置き続けて、自身の虚無感・満たされない感覚を救済しようとするのだから、おのずと真理を引き寄せるようになる。
現実に絶望しながらもそれを捨てずに希望を求め続ける行為は、さながら真理を追求し続ける姿勢のように思えたのでそう名付けた。あと、オタク文化の影響をうんぬんの話は俺の個人的見解である。加えて、俺は現実逃避を否定する立場はとらない。それは、現実逃避は否定的な印象を持つものかもしれないが、実際には現実逃避もメリット・デメリットのある選択可能な行動の一つにすぎないからだ。結局は利用方法の問題なのだ。
2、絶望経験のメリット・デメリット(アイデンティティ再構築前)
1で分類したとおり、これ以降に俺が絶望経験という用語を用いる場合は、「真理追求型絶望」の事を指していると思っていただけると、ひじょーに嬉しい。
ではそんなわけで続いて、絶望経験のメリット・デメリットについて確認する。絶望経験の評価方法については、アイデンティティ再構築の前後2段階で評価する。2ではアイデンティティ再構築前の、「目の前真っ暗」状態のメリット・デメリットを考察する。
<アイデンティティ再構築前メリット>
■過ちの繰り返し処理を止められるようになる
■己の無知を知る事が出来る
■バグった希望は喪失するが、それに伴って生じていた恐怖からも解放される
など
「目の前真っ暗」状態は確かに状態としては最悪で、モルボルから臭い息をくらったときのステータス状態みたいなもんである。しかし、哲学者ソクラテスはそれを「自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる。」と評価している。
同様にデール・カーネギー翁も「5ドル紙幣を持った男」の話を通して、その状態の価値を高く評価している。
要約しよう。すなわち絶望経験時における「目の前真っ暗」状態は、ダイヤの原石状態でもあるのだ。
確かにうまく研磨できるかどうかは、技術を持たない者にとっては非常に重要な問題だ(だからこそ俺は情報共有を絶望経験の必要条件に挙げている。)。だがそれは、鉱山の中でどこにダイヤがあるかもわからずに無秩序に生きるより、ずっと価値があると言えないだろうか。
[http://10e.org/mt2/archives/200804/122354.php:title=3年前に宝くじで10億円を当てた男性、今は一文無し]という記事をちょうど目にしたためブクマしておいたが、まさにそういった事が絶望経験を必要とする意味、早期にアイデンティティ代謝を始めておくべき意味なのである。宝くじで大金を手に入れた男には、それを持てるだけの器がなかった、言い換えるならば、それをコントロール出来るレベルの意識構造、アイデンティティを形成出来てなかったからこそ、逆に人生を弄ばれて落ちるとこまで落ちてしまったのだろう。こうした記事はいつの時代にも存在している事からもわかるように、その事を知らない限り物事はなるべくしてなると言えるのだろう。
またこの事は「絶望を経験してる余裕なんてないよ」という発想に対しても、強力なくびきとなってくれるだろう。絶望経験は自分を良い方向に変えるチャンスであるが、チャンスは基本的に自分で作ろうとしないと、手に入れる事のできないものだからだ。都合よく絶望できる環境がやってくる事を待ち望みながら過ちを犯し続けても、状況はますます悪くなるだけだろう。余裕が訪れるかどうかも、宝くじで大金が手に入るかどうかも、結局は同じ事だ。
鉄は熱いうちに打たなければいけない。勢いが冷めてしまってからでは絶望経験はしようがないのだ。
とは言え絶望経験を拒否する意見を全否定するのも望ましい事ではないだろうから、次にデメリットの考察を通して現実的にそのリスクを計っておく。
<アイデンティティ再構築前デメリット>
■自信を失う
■心が動揺してしまう、情緒不安定
■ヒステリックになる
■傷つきやすくなる
■自分の非を過剰に痛感し、苦しくなる
■日常生活が送れなくなる
など
アイデンティティが崩れた時の精神状態ははっきり言って苦痛そのものである。依るべき心の支えを失った状態は、「極寒の地に全裸で凍えながら、どうすればこの状態を改善できるかまったくわからないようなもの」である。どこかに避難所を用意しておかなければ、無傷で生還する事は出来ないだろう。なのでその避難所をどうやって確保するかが、今後の対策につながったりする。
3以降は次回に続く!ノープランである事は反省しない!

